石貨
すべての文化に共通して、ヤップでも交換は生活の重要な部分を占めます。外の人間には興味をそそられる石貨を、ヤップ人は長い年月にわたって使い続けてきました。それらは他の地域では見られないものです。最初の石貨がパラオで削り出されたのは、もしかしたら西暦125年まで遡れるかもしれません。材料とされたキラキラ光る岩石は方解石の一種で、主に鍾乳洞の色とりどりに輝く壁から得られました。
パラオへの最初の航海のあと、何百もの航海がそれに続きました。たくさんの男たちが危険な海路に挑み、その過程で苦しめられたものもいました。四百数十キロに及ぶカヌー航海は、天気が良く巧みな航海術があっても、片道5日を要しました。今ではヤップのほとんどの村で見ることのできる大きな石貨ですが、それらを削り出し、ヤップまで持ち返った労苦はたいへんなもので、それがまた石貨の価値を高めました。
人々と言葉
ヤップ州には4つの特有の異なった言語があり、それらはヤップ語、ユリシー語、ウォレアイ語、そしてサタワル語です。ヤップ島の人々とヤップ州離島の人々は、それぞれが異なった移住グループの子孫である証拠として、これらの言語の違いをあげる学者もいます。一説では、ヤップ人は主に古代インドネシアやフィリピン文化圏の子孫であり、離島人は主にメラネシアとポリネシア文化圏の子孫といわれています。
刺青
ヤップや離島の人々の多くは、20世紀初頭まで身体に複雑な刺青を施していました。刺青には、ヨル、ガチョウ、サルバチャグといわれる3つの独特のパターンがあり、それぞれ高い地位を示したり、戦士階級を表わしたり、あるいは個人的な好みによって描かれました。すすを使って精妙な意匠を足や全身に入れていく作業には、ものすごい苦痛が伴いました。
全身に刺青を施している人は非常に稀ですが、離島には刺青師がまだ健在です。また、イルカや鳥など地元で人気のあるデザインを、身体の一部に入れているヤップ人や離島人はたくさんいます。
ヤップの民俗芸能
整列した踊り手たちが両手で打ち鳴らす大きな音から始まります。両手を繰り返し打つ音が統一されてひとつになるまで、それは繰り返し続けられます。そして、一列に並んだ踊り手の真ん中から、ひとつの大きな力強い声が放たれます。それはこれから踊られる踊りの物語の紹介で、今は忘れ去られた古い言葉で語られます。その瞑想的な叫び手の声は、土を固めた踊り舞台から浮き上がり、石積みの集会場とその背もたれをも通り抜け、月の浮かぶ海面へと漂い出ます。その声を聞いた者はみな魅了され、過ぎ去った神話の時代へと運ばれます。と突然、ひとりだけだった声に、力強く響き渡る古代の祝詞のコーラスが加わります。踊りが始まりました。
ヤップ語でチュルと呼ばれる様々な踊りは、ヤップで最も高度に発達した芸術形式です。ヤップの踊りは、その祝詞を通して伝えられる口伝ともいえます。踊りには、座り踊り、立ち踊り、行進踊り、棒(竹)を使う踊りなど、大きく4つのタイプがあります。近年では棒(竹)踊りは男女混合で踊られることが多くなりましたが、伝統的には、踊りは男女別々に同性のみで行われます。棒(竹)踊りと立ち踊りは、物理的な面から、通常若者に限定されます。ヤップ島や離島の人々は、小さい子供のうちから踊りの練習に加わり、やがて50代に至るまで、あるいは踊りに必要な流れるような動作を保つのが難しくなるまで、踊り続けます。
踊りのストーリーとしてよく登場するのは、カヌー航海の苦労話や他の村を征服した話、最近では宗教的なものも多くなりました。多くの踊りはそれぞれのフレーズが二度ずつ繰り返されます。そして、「ガシュラウ」のように、女たちが見ることを禁じられている男の立ち踊りなどはかなりみだらです。(もちろん、女たちが「ガシュラウ」を全く見ようとしなかったなら、若い男たちはとっくの昔に踊りをあきらめていたでしょう!)あまり頻繁に踊られなくなりましたが、興味深い踊りのひとつに「タヨル」があります。それは、たくさんの村が集まる「グゥイオル」という催しの際に女たちによって踊られます。踊りの中で、女たちは主催村に対してなんでも欲しいものを要求することができます。食べ物、石貨、そしてカヌーまでも!そして、主催村は、要求されたものを気前良く提供しなければなりません。
ヤップの踊りは、見るものが即コーチであり批評家でもあるという、とても対話的なスポーツです。いちばんお気に入りの席を陣取った年配の男性や女性から、痛みの限界まで屈んでいるのにもっと姿勢を下げろとか、もっと目の動きを踊りに合わせろとか、容赦ない批評が飛んできて、踊り手たちを疲れさせます。本番の1年も前から、月明かりの下、こういう厳しい批評を受けながら、踊り手たちは練習を繰り返します。
やがて本番の日を迎えると、カラフルな色に染め上げたハイビスカス繊維の衣装をまとい花のレイや頭飾りをつけた踊り手の身体には、ターメリック(うこん)を溶かしこんだココナッツ・オイルがたっぷり塗られ、さらに黄色いターメリックの粉で装飾されています。
貝貨ならびにネックレス
ヤップで大切なものは石貨だけではありません。島でもっとも貴重とされるのは、「ガウ」と呼ばれる、小さな貝をネックレス状につないでクジラの歯をつけたものです。これらは長老のみが所持できます。
「ガウ」は大昔、トミル地区テブ村のアングマンという航海師によって、初めてヤップに持ってこられました。伝説によると、アングマンがチューク・ラグーンにあるウドット島へカヌーで行っていたときのことだそうです。その島でチュークの女たちの踊りを見ていたアングマンは、彼女らが腰に巻いている美しい貝の紐に気づきました。それに魅入られたアングマンは、それらを手に入れることにしました。そしてある夜、女たちがそれらを保管している場所に忍び込み、9つのネックレスを盗み出しました。
夜が明けて泥棒に気づいたチューク人らの疑いは、すぐに浜で出航の準備をしていたよそ者のアングマンに向かいました。ただちに一団となったチュークの男たちが、盗まれた宝物を取り返しにアングマンのカヌーへやってきました。しかし、隅から隅まで捜しても宝物を見つけることができず、チュークの男たちは、無実を訴えるアングマンとその乗組員を釈放するしかありませんでした。
しばらくの後、アングマンと乗組員はヤップに戻って来ました。彼らの長い航海にまつわるたくさんの土産話とともに、カヌーからはたくさんの土産物が降ろされ、その中には、チュークの人々からの贈り物として、貝殻を繋いだ9つの美しいネックレスがありました。アングマンが盗品をカヌーの竹竿の中に隠していたとは、チューク人の知る由もないことでした。
ヤップのもうひとつの貴重品として、「ヤール」(貝貨とも呼ばれるますが)があります。ヤールには四種類あって、結婚の申し込み、お祝い、お詫びなど、大切な伝統行事に使われます。ヤールはまた、伝統薬を処方してもらうお礼としても使われます。
四種類とは、パラオからのもの、フィリピンやインドネシアからのもの、ヤップの65キロ北にあったという伝説の沈んだ島シピンからのもの、そしてヤップ産のものです。ヤップ人は、貝の内側の色合いから、その種類をはっきりと見分けることができます。その内側が真っ白なものや、端が切り取られて柄のつたいもの、牡蠣殻のように2枚が合わさったものや、5枚がココヤシのロープで連ねられたものなど、その形態もいろいろです。
ヤールの交換を取り仕切る大切な基準が先祖代々受け継がれており、ヤップ人は、交換時に差し出されるヤールの種類と数に、特に注目します。その場面にふさわしくない種類や量の提供は、それが少なすぎても多すぎても拒否されることがあり、それは提供する側を困らせます。
伝統航海カヌーと航海術
すべて自然素材で造った柔軟で美しいカヌーは、海と陸をつなぎます。貿易風と、大空と海洋の描く永遠の海図に導かれ、葉を編み上げた帆と人間の筋力だけを動力とするカヌーは、おそらく太平洋とそこに点在する島々のもっとも大切なシンボルでしょう。かつて広い海域を支配したヤップ島の力の源泉は、こういう技術にありました。
ヤップにはかつて、荷物の運搬用とか、同じサンゴ礁内の島々の往来用とか、その目的や用途に応じて、6種類のカヌーがありました。現在もっともよく知られているヤップのカヌーは、舳先の先が2つに別れた「ポポウ」ですが、これはパラオやその他の遠くの島へ渡る遠洋航海用の美しいカヌーです。
カヌー造りには、神秘的な秘伝や儀式に守られた、とても複雑な行程がありました。それにはカヌー大工の棟梁の技とともに、多くの男や女の協力が必要とされました。まず始めに、大きなテリハボクまたはパンノキが選ばれました。次に、木を切り倒すのではなく、注意深く木の根のまわりが掘られていきました。この工程は木に、容赦なく打ちつける高波にも裂けないような強度をもたらしました。その後、大勢の男たちによって、木は海岸近くまで運ばれました。
大昔から伝わる曳き歌とともに、大きな木は建造場に運ばれました。男たちが石や貝や、のちの時代には鉄の歯をつけたチョウナでカヌーの船体を削っている間、女たちはタコノキの葉を集め、その繊維でカヌーの帆を織りはじめました。パンノキの樹液と、完熟したココヤシの実の繊維から作ったロープで、カヌー船体の上部分とパーツは組み合わされ、パンノキ、竹などでできたアウトリガーの部分が、カヌーの片側にココヤシのロープで取りつけられました。こうして出来上がったカヌーは最後に塗装され、踊りやセレモニーの行われる中、静かに海へ降ろされました。そして両端を竹竿に結ばれたタコノキの三角帆がマストに上げられると、それは風の中に広がりました。
伝統航海師たちは、近代的な観測器やコンパスも持たずに、大波が寄せ交う海原を渡る冒険をしてきました。彼らの航法は、完全に暗記している32の星の位置と動きによって針路を知り、交差する波から位置を読み取るというものでした。伝統的には、航海術の訓練は幼児のうちから始められ、それらは一族が用心深く受け継いでいる重要な秘密のひとつでした。伝統社会ではマスターナビゲーターには高い地位が与えられ、さまざまな禁忌や秘儀を厳格に守って生活していました。
多くの秘儀や航海師の成人式などは途絶えたり忘れられつつあるとはいえ、伝統カヌーの建造術と航海術の伝承は、今日のヤップでもまだ行われています。こういう伝承を若い世代に伝えていくことでは、ヤップ島より離島のほうがうまくいっているようです。これはモーターボートがまだ実用的ではない多くの離島では、カヌーがまだ現役であることもありますが、島の伝統リーダー、カヌー大工、航海師たちが、これらの技術を若い世代に受け継がせる努力していることも影響していると思われます。ヤップ島では、ルムング、マアプ、ガキルなど主に北部地域に、ほんの数人の現役カヌー大工がいるに過ぎません。ヤップには航海師はもう残っていないでしょう。それにカヌー大工もみな年老いていますから、今すぐに手を打たなければ、ヤップの人々はこの技術を永久に失ってしまうでしょう。
現代のヤップ: 観光産業

観光業はヤップの人々にとって目新しく、興味のある産業です。島の独特な習慣を大事にしながら、2009年とそのまた先へとスムーズに移行していけるよう、島の起業家たちは頑張っています。まだ昔ながらの生活があちこちに残っているとはいえ、文明の利器や輸入食品も島にあふれています。エコやカルチャー志向のツアーは、これからもっと人気が出るでしょう。海での遊びやアドベンチャー・スポーツは、すでに軌道に乗っています。このウエブサイトがきっかけとなり、ヤップの魅力的な文化、素晴らしい水中世界、そして親切な人々との出会いを求めて、ぜひヤップに行ってみようと思う方が増えることを、心より願っています。